ケータイ辞書JLogosロゴ 高場村(近世)


茨城県>ひたちなか市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国那珂郡のうち。鷹場とも書いた。水戸藩領。寛永年間上高場村・下高場村に分村し,天保13年再び合村(水府志料)。村高は,「旧高簿」727石余。幕末に木名瀬庄三郎は,水戸領内東郡の農業生産のあり方を詳細に書いた農書「東郡田畠耕方并草木目当書上」を著し,同書は万延元年6月徳川斉昭の死の直前に提出された。庄三郎は天保9年上高場村庄屋となり,天保14年産業開発に関して藩庁に意見書を提出し,荒地植林・荒畑開発,潰百姓の復興などに努力した。弘化元年幕府に謹慎を命じられた斉昭の雪冤運動にも積極的に参加し,2年間投獄されたが,嘉永6年に山横目,同7年東石川村,安政2年田彦村の兼帯庄屋を勤め郷士格となった。俳諧が盛んで「俳諧常陸千題」には,松花・壺雪・孤松・瓢々・風一・其雪らの俳人の句が掲載されている(勝田市史)。明治4年茨城県,同11年那珂郡に所属。明治22年佐野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7274801
最終更新日:2009-03-01




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