筑波郷(古代)
平安期に見える郷名。「和名抄」常陸国筑波郡九郷の1つ。筑波郡衙が置かれ,郷名もこれに由来するという(新編常陸)。「新編常陸」は江戸期の「筑波・臼井・大島・沼田・国松及今ノ真壁郡酒寄等ノ六村」にあてる。「郡郷考」は江戸期の神郡村にあて,筑波山神社の神田があったことから当郷が神郡と私称されたとする。「地名辞書」は旧筑波町・田井村にあて,「或は田井をば大貫郷にあて,筑波郷に分てど,其是非を詳にせず」として,筑波山南西麓および山中を筑波郷とするのには異論がないとしている。つくば市平沢の平沢官衙遺跡が筑波郡衙跡と考えられる。同遺跡は周囲を水田に囲まれ,東西方向にのびる標高約38mの独立低台地に立地する。多くの建物群跡,柵列,大溝のほか,竪穴住居跡が確認され,土師器・須恵器が出土する。同遺跡と並ぶ丘上の中台遺跡は,郡寺と考えられ,鋸歯文縁単弁十六葉花文軒丸瓦・素縁単弁八葉花文軒丸瓦などが出土し,石造露盤も発見されている。つくば市漆所に満面塚古墳や大塚山古墳,同町北条に中台古墳群・八坂神社古墳,同町神郡に宮の前遺跡(土師器・須恵器),同町館に館遺跡(土師器・須恵器),同町平沢にハサマ遺跡(土師器),同町山口に山口古墳群などがあるほか,神郡や同町泉などでは条里遺構も確認される。つくば市大貫から神郡を通って山麓に達する直線道路は条里の畦畔遺構で,当郷と北の大貫郷との境界をなしていたと考えられる。筑波山神社の門前町筑波が発展したのは時代が下ってからのことと思われ,当郷の中心にあてるのは疑問。桜川左岸,筑波山南麓,現在のつくば市北部(旧筑波町中央部)に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7275065
最終更新日:2009-03-01