ケータイ辞書JLogosロゴ 筑波山


茨城県>つくば市

明治維新後の神仏分離・排仏毀釈により,知足院の建物・仏具などは破却され,跡地には新たに拝殿が造られ,筑波山神社として再興されて明治6年に県社に列した。4月1日・11月1日の御座替祭を例祭とし,8月初旬に行われる「がま祭」は観光客でにぎわう。山麓付近の村々には大当講・御六神講・筑波講などと呼ばれる講組織があり,筑波山信仰は現在でも広い信仰圏をもつ。明治12年大御堂跡で全国大博覧会開催。同13年2月国会開設請願署名運動の推進を目的とした筑波山の会が開催された。これは豊田郡の同舟社のよびかけで,真壁郡の愛交社,西茨城郡の薫風社,新治郡の同倫社,行方郡の公益民会,北相馬郡の改進社など県内の自由民権政社が参集したもの。筑波山上,女体山近くに「女男居てさへ 筑波の山に 霧がかかれば 寂しいもの」という筑波嶺詩人横瀬夜雨の「お才」の詩碑がある。筑波山頂をめぐる筑波町と真壁町の境界紛争は,明治以来くすぶり続け,昭和32年8月に真壁町が提訴,同38年4月の水戸地方裁判所判決では真壁町側の勝訴となったが,同57年6月30日の東京高等裁判所判決では筑波町側が勝訴。当山は「科学の山」ともいわれ,明治34年に山頂に山階宮筑波山観測所(のちの中央気象台付属筑波山観測所)が設けられたのを皮切りに,大正10年筑波山微動観測所(のちの東京大学地震研究所),第2次大戦後はNHK・警察庁・電電公社・国鉄などの無線中継所が続々建設され,「電波銀座」ともよばれている。昭和38年の閣議決定以後当山南麓のつくば市,稲敷郡茎崎町の6町村にまたがる地に筑波研究学園都市の建設が進められた。当山は観光の山でもあり,大正7年開業の筑波鉄道が土浦―筑波―岩瀬間を走り,同12年開業の登山バスが筑波駅から筑波山神社まで,同14年開業の筑波山鋼索鉄道のケーブルカーが神社から山頂まで観光客を運んでいる。つつじが丘〜女体山間には昭和40年営業開始の筑波山ロープウエーがあり,マイカー客のためには,筑波町筑波の東山からつつじが丘までの筑波スカイライン(昭和40年開通)と筑波町筑波から新治村小野までの表筑波スカイライン(同49年開通),総称して筑波パープルラインが整備されている。訪れる観光客は年間約180万人といわれ,年間を通じて絶えない。昭和44年には水郷筑波国定公園が発足。同60年に筑波研究学園都市を会場(主会場は谷田部町)として行われる予定の国際科学技術博覧会にむけての観光化が急速に進んでいる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7275077
最終更新日:2009-03-01




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