ケータイ辞書JLogosロゴ 寺久村(近世)


茨城県>岩井市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。関宿藩領。村高は,寛文5年の検地では308石余(反別153町余),「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに318石余,「旧高簿」326石余,「旧高旧領」318石余。家数・人数は,宝永元年52・336,明和7年51・250,天明2年48・209,弘化4年39・221,嘉永3年40・230(風見家文書)。宝永2年の村差出帳によれば,村役人藤次は年貢増徴の功により藩主久世氏から褒賞として山林を下付された。助郷は,将軍日光社参の享保13年・天保14年に日光東街道宿々に出役し,明和3年の日光法会には日光街道野木宿(栃木県)に出役し,文政3年は大堤村ほか6か村とともに指村されて古河宿の代助郷を勤めた。慶応4年新政府軍の会津出兵に伴う送迎のため古河宿・谷貝宿に人馬を出した。鹿狩は,享保年間2回,寛政7年・嘉永2年にそれぞれ1回ずつ勢子を出した。普請は,天保13年の千間堤普請を負担したほか,嘉永3年の小山高台繰抜普請に62人,翌年同逆留普請に162人,沼内普請に617人を出した。八幡神社・香取神社がある。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年七重村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7275168
最終更新日:2009-03-01




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