ケータイ辞書JLogosロゴ 冨屋郷(中世)


茨城県>岩瀬町

 戦国期に見える郷名。常陸国西中郡のうち。弘治2年11月9日,結城政勝は,「冨屋郷 三百文」ほか西中郡のうちで2貫文を高橋神社(栃木県小山市)に寄進している(高橋神社文書/結城市史)。当時,当郷域は結城氏の支配下にあり,同年11月29日結城政勝は白川晴綱に「小栗・冨屋・海老嶋堅固ニ候」と申し送っている(遠藤白川文書/結城市史)。その子晴朝は,永禄3年,結城籠城のために冨屋城兵を撤退させたため(結城家之記/結城市史),当郷は一時結城氏の手を離れるが,のち再び結城領となり重臣多賀谷壱岐守が在城した(結城系図・関東八州諸城覚書/結城市史)。天正14年9月14日,晴朝は,大嶋助兵衛に「此度冨谷之地へ罷越候付て,十五貫文之所」を充行い(家蔵文書/結城市史),酒寄源兵衛にも10貫文を充行って,当地で「一疋一領」の軍役をつとめることを命じている(常総遺文)。文禄3年の太閤検地を機に西那珂郡に属す。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7275309
最終更新日:2009-03-01




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