ケータイ辞書JLogosロゴ 長井戸村(近世)


茨城県>境町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。関宿藩領。村高は,「元禄郷帳」255石,「天保郷帳」443石余,「旧高簿」474石余,「旧高旧領」443石余。文化3年の家数94(猿島上郷窮民永救録趣法書)。鹿狩には享保年間2回,ほかに寛政7年・嘉永2年に勢子を出した。寛政7年は当村から35人が出役し,総勢10万の士農が7手に分かれ,猿島勢3,111人は2月1日から同4日の将軍御成まで勤めた。助郷は,将軍日光社参・諸大名大通行に際しては境宿・谷貝宿に出役し,明和3年の日光法会には日光街道野木宿(栃木県)に出役し,寛政10年には中田宿の加助郷を勤めた(北下総地方史)。嘉永6年のペリー浦賀来航に際しては農兵調練を勤め,高10石につき1貫文余の割で費用36貫余を負担(浦向本谷家文書)。慶応4年会津戦争に伴う新政府軍の送迎のため,境宿・谷貝宿に人馬を出した。新義真言宗花蔵院がある。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年長田村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7275393
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ