ケータイ辞書JLogosロゴ 永国村(近世)


茨城県>土浦市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国信太郡のうち。はじめ結城氏領,慶長6年土浦藩領,元和3年幕府領を経て,同4年からは再び土浦藩領。村高は,「元禄郷帳」では長国村として255石余,「天保郷帳」でも長国村と見え375石余,「旧高簿」374石余。「県方集覧」によれば慶安3年の検地と見え高370石余,小物成に百姓山銭があり,享保年間の家数34・人数166,堰1,池1,半溜1,水門1,土橋1,百姓林1,庵1,三昧2,寺社は真言宗大聖寺・長久寺・宝珠寺・文殊院・弁才天社・稲荷社・鹿島社・山伏当山派大照院・地蔵山堂・阿弥陀堂。中村宿の定助郷を勤める(土浦市史)。人数は貞享3年153,文政3年112,文久3年140。当村は右籾村ほか5か村とともに荒川村ほか2か村の入会野に野銭を支払って草刈りをしていたが,貞享2年〜元禄2年には当村ほか8か村が烏山・右籾両村の入会野境を侵したとして争論が生じた(同前)。明治8年茨城県,同11年信太郡に所属。明治22年東村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7275425
最終更新日:2009-03-01




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