ケータイ辞書JLogosロゴ 中三の丸(近世)


茨城県>水戸市

江戸期の町名江戸期は水戸城下上町の1町水戸城の西に位置する武家町水戸城三の郭,三の丸の郭内を東西に通る2本の道路によって北三の丸・中三の丸・南三の丸と三分されたうちの1つ「新編常陸」によれば,元禄3年鳥居瀬兵衛脇の町を中三の丸と称すという「水府地理温故録」によれば,天和元年正月当町の穂坂氏から出火して,松平権之助・真木久米之助の屋敷に類焼し,さらに大風で対岸の青柳村の民家をも焼いたといい,南から2軒めの藤田繁蔵の屋敷表にたまり池があって水が枯れず,高場には珍しいと記している当町は,東側が南北146間半・東85間で8屋敷,西側が東西45間で南北は東側とほぼ同じで西の堀を背に5屋敷が割られており,寛文年間は松平一学・松平八左衛門・太田主水ら(水戸の町名),天保初年には家老山野辺主水正・太田新蔵らの重臣が居住した天保12年当地に弘道館造営のため重臣らの屋敷を他へ移したので当町名は消滅し,北三ノ丸の一部となった(同前)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7275460
最終更新日:2009-03-01




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