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- 中館村(近世)とは
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中館村(近世) 江戸期~明治14年の村名丹後国竹野郡木津郷のうち木津川中流域に位置する地名の由来は往古当地の東西に木津城・大森城があり,その中間に築かれた城「中のやかた」即ち中館城によるといい,同城は応永年間信濃国松本より来住した松本信濃守正次の築城と伝えるもと木津庄の枝郷,江戸後期分村独立したと思われるはじめ宮津藩領,寛文9年より幕府領,宝暦9年再び宮津藩領となる村高は「天保郷帳」では「木津庄之内中館分」とあり337石余,「旧高旧領」では中館村とあり同高村の北西にある行者山の南麓に臨済宗法雲山万松寺がある同寺は松本氏の6代六郎右衛門正助が屋敷・山林・寺領を寄進し,寛永18年再建している(竹野郡誌)明治4年宮津県,豊岡県を経て,同9年京都府に所属明治初期の戸数55同8年当村に木津・俵野・溝野・日和田4か村の連合による木津小学校が開校同14年木津村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」