ケータイ辞書JLogosロゴ 生瀬村(中世)


茨城県>大子町

 戦国期に見える村名。陸奥【むつ】国依上【よりがみ】保のうち。永正2年2月吉日の某知行充行状写に「なませの内」と見え,石井与一に充行われている(石井縫殿助文書/家蔵文書)。永正8年3月2日の佐竹義舜感状写によれば,石井六郎兵衛が「依上口出陣」の恩賞として「なませ之村五次郎内」を充行われており(石井宇内文書/家蔵文書),永正8年8月3日の依上保目録には「一,なませ 七十くわん」と見える(八槻文書/福島県史)。年未詳11月13日の秀郷流系図白川結城に「生瀬三ケ村袋田被志有之」と見えるが,「水府志料」大野村の項に「結城氏古文書に,生瀬三村といへるは,大小生瀬村・高柴村・大野村の三村なるべき歟」とあるのはこれを指すものと思われる。文禄年間の太閤検地を機に常陸国久慈郡に属す。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7275628
最終更新日:2009-03-01




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