ケータイ辞書JLogosロゴ 西いつミた(中世)


茨城県>境町

 戦国期に見える地名。下総国猿島【さしま】郡のうち。天正2年12月12日の小田原北条氏虎印判状に「西いつミた,右,当郷の百姓,如前々無相違可致帰住」と見える(鷲宮神社文書/埼玉県史)。天正2年,関宿城(千葉県)をめぐって小田原北条氏と簗田氏が戦い,同年閏11月に簗田氏の関宿城は落城したが,さきの文書はその直後,合戦のため郷村から逃れていた百姓の還住を命じたものであり,同一内容をもった文書は関宿周辺に広く出されたと考えられる。なお,さきの文書は鷲宮神社の所蔵であることから,戦国期に当地は,現在の埼玉県鷲宮町に鎮座する鷲宮神社の所領であった可能性が強い。天正2年と推定される12月2日の小田原北条氏奉行人垪和康忠充芳春院周興・昌寿連署書状写には「泉田」が見え,知行人は豊前左衛門尉(喜連川家料所記/古河市史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7275718
最終更新日:2009-03-01




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