ケータイ辞書JLogosロゴ 西泉田村(近世)


茨城県>境町

 江戸期〜明治22年の村名。猿島郡のうち。関宿藩領。村高は,「元禄郷帳」233石余,「天保郷帳」424石余,「旧高簿」436石余,「旧高旧領」424石余。文化3年の家数57(猿島上郷窮民永救録趣法書)。鹿狩の勢子は,享保10年100石に付10人,寛政7年8人,天保14年6.5人の割で出役。助郷は,享保13年将軍日光社参に境宿・谷貝宿に勤め,天保14年にも人馬を出した。寛政10年日光街道中田宿の加助郷を勤めた。ペリー浦賀来航の翌年嘉永7年に農兵調練があり,高10石につき銭1貫文余の費用を出す。慶応4年会津戦争に伴う新政府軍送迎のため日光東街道の境宿・谷貝宿に人馬を出した。文政10年寄場組合制により境大組合泉田小組合の寄場となる。寺院は浄土宗西光寺,鎮守は香取神社。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年長田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7275719
最終更新日:2009-03-01




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