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- 芳賀郷(古代)とは
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芳賀郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」下野国芳賀郡十四郷の1つ当郷には郷名から芳賀郡衙があったものと思われる真岡【もおか】市京泉の塔法田遺跡からは38基の地業遺構が確認され,東西棟,南北棟など建物の方向が統一的・規則的に配置されている建物群の形態は茨城県新治郡衙跡に類似していることから,芳賀郡衙跡に比定されている(県史通史編2)また,真岡市京泉の字内畑・飯貝には,大内廃寺跡があり,金堂跡・塔跡などの礎石が残ることから法隆寺式伽藍配置をもつ奈良期の寺院跡とされ,大内廃寺跡は塔法田遺跡の南約700mにあり,郡寺的な性格を持ったものとも推定されている(同前)当郷は現在の真岡市付近に比定される(地名辞書) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
芳賀郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
芳賀郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」安積【あさか】郡8郷の1つ「地名辞書」では諸郷の配置から中通り中部,現在の船引【ふねひき】町・常葉町・大越町のあたりと推定し,「県史1」では郡山市大字三穂田町川田・野田を中心とするあたりとするが,詳細は不明... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」