ケータイ辞書JLogosロゴ 袴塚村(近世)


茨城県>水戸市

 江戸期の村名。常陸国茨城郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」でははかま塚村として223石余,「元禄郷帳」328石余,「天保郷帳」375石余。「水府志料」によれば,常葉組に属し,戸数82,村の規模は東西9町余・南北24町余。水戸城下に近いため享保年間から商工業者が居住しはじめて町場化し,享保11年谷中村・圷渡村と合わせた家数は192軒(水戸市史)。宝永6年城下町以外の郷分地での商売の禁制では,当村は谷中村とともに日光への街道筋であることから衣料品類以外の大部分の商売が許可された(同前)。寺社は日蓮宗本行寺・三島明神(新編常陸)。天保年間常葉村の一部となる(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7275948
最終更新日:2009-03-01




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