ケータイ辞書JLogosロゴ 箱田郷(中世)


茨城県>笠間市

 南北朝期〜室町期に見える郷名。常陸国笠間郡のうち。弘安・嘉元の田文には記載されておらず,弘安田文に見える「方庭四十七丁三段」(税所文書/県史料中世)から分立したといわれる(新編常陸)。康暦元年4月21日の将軍足利義満袖判御教書に「下 摂津宮内大輔能連 可令早領知下総国結城郡内大乗程塚,常陸国市毛・箱田・鳴山,備後国重永本新庄事」と見え,幕府は摂津時親の譲状を認めて,子の能連に当郷ほかを安堵している(士林證文/広島県史)。応永4年8月日の笠間家朝訴状案によれば,明徳2年2月22日,幕府から笠間十二ケ郷一円の安堵下文を得ていた笠間家朝は(税所文書/県史料中世),明徳3年11月14日,「はこたのにしの内一う八反の内,三反」を「はなわてんかそうのかた」へ譲与しており(福田平右衛門文書/家蔵文書),このころには笠間氏の所領となっていた。また明徳4年正月6日,笠間家朝は「笠間ノこふりはこたのかうの内御りやうの内,一う一ちやう」を「とたの六郎」に充行っている(同前)。文禄3年の太閤検地を機に茨城郡に属す。当地にあった金剛寺は賀海和尚の開基といわれ,承久年間に荒廃したが,文明9年に笠間朝貞が僧良朝を請じて再興したと伝え,また阿弥陀院は,建永年間弁海上人の開基と伝える(笠間城記)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7275961
最終更新日:2009-03-01




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