ケータイ辞書JLogosロゴ 百家村(近世)


茨城県>つくば市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国筑波郡のうち。慶長8年旗本菅谷氏の知行,元禄11年からは谷田部藩(明治4年下野【しもつけ】茂木【もてぎ】藩となる)と旗本酒井氏ほか旗本2氏の相給。村高は,「元禄郷帳」401石余,「天保郷帳」409石余,「旧高簿」390石余。元禄11年には,村高402石余で,谷田部藩領の高101石余,反別11町7反,百姓10人,旗本領の高300石余,反別32町5反,百姓29人。地内は壱本松・内畑の2集落からなるが,壱本松は潰百姓が増加し,残った百姓も内畑へ移住して幕末には人家がなくなった。鎮守は鹿島神社。寺院は真言宗観音寺とその門徒寺の智蔵院・阿弥陀院。明治8年茨城県,同11年筑波郡に所属。明治22年旭村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7276009
最終更新日:2009-03-01




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