ケータイ辞書JLogosロゴ 半谷村(近世)


茨城県>下妻市

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ常陸国河内郡(西河内郡),元禄15年からは真壁郡のうち。元禄年間・幕末期ともに幕府と旗本井上氏の相給。村高は,「元禄郷帳」764石余,「天保郷帳」806石余,「旧高簿」では814石余。村の中央を江連用水が貫流して砂沼(溜池)に注ぎ,俗に用水の左を上半谷,右を下半谷としている。一帯に赤土(粘土)の平坦地で,やや低い所では地下水の湧出がある。広大な地域はほとんど山林原野で,近世の集落は,上半谷10戸内外,下半谷10戸余であった。上半谷は旗本井上氏知行,下半谷は幕府領であった。寺社は,真言宗最勝院・半谷神社(新編常陸)。明治6年半谷小学校開設(下妻市史)。明治8年茨城県,同11年真壁郡に所属。明治22年上妻村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7276169
最終更新日:2009-03-01




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