ケータイ辞書JLogosロゴ 東榎生村(近世)


茨城県>下館市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国真壁郡のうち。寛永年間・寛文年間・元禄年間ともに下館藩領,幕末期は幕府と下館藩の相給。村高は,「元禄郷帳」467石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに463石余。寛永年間の「水谷領村々高改名主名前御取調帳」によれば高463石余,名主は沢村忠兵衛(下館市史)。天保8年の「常陸御国絵図御改之記」によれば高466石余,名主は忠兵衛,組頭は佐兵衛,鎮守は虚空蔵,馬20(同前)。社寺は香取明神・八幡宮・天台宗覚成院。明治9年村内農民が真壁郡騒擾に参加。明治4年茨城県,同11年に真壁郡に所属。明治22年嘉田生崎【かたおざき】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7276220
最終更新日:2009-03-01




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