檜町(近世)
茨城県
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笠間市
江戸期〜明治11年の町名笠間城下の1町大和田の南から西に入り,四谷に至るまでの間に位置するはじめ禅教院という寺院があったが,元和7年城主永井直勝が夫人の菩提を弔うため,禅教院を大和田の裏山に移し曹洞宗盛岸院と改めた寺院の跡は武家屋敷となった明治11年笠間町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7276259
最終更新日:2009-03-01
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