ケータイ辞書JLogosロゴ 藤井郷(中世)


茨城県>水戸市

 鎌倉期〜南北朝期に見える郷名。常陸国那珂西郡のうち。鎌倉末期に作成された「大中臣氏略系図」の大中臣姓那珂氏の後裔経政の子四郎の項に「那珂藤井郷并安芸奴田庄内新羅郷地頭」,六郎の項に「藤井并新羅郷地頭」と注記され,この両名が鎌倉期に当郷の地頭職を有していた(桐原文書)。康安2年正月7日の佐竹義篤譲状写に「那珂西藤井郷北方内,〈平沢蔵人給分,白井五郎入道跡〉」とある(大山義次文書/家蔵文書)。当郷は義篤の子松王丸の領するところとなり,藤井氏を称する。文禄3年の太閤検地を機に茨城郡に属す。文禄4年7月16日の義宣公御黒印状写に,「一,二百五拾石也 茨木之内 藤井之内 文禄四年乙未七月拾六日(黒印)古内下野守殿」とある(古内義陣文書/家蔵文書)。そのほかに,同年月日に片岡志摩守に当郷内の200石(片岡多左衛門文書/家蔵文書),松平上総守にも同様に200石が充行われ(高柿兵右衛門文書/家蔵文書),同年9月18日には今井源五に100石の知行が許されている(今井源五文書/家蔵文書)。当郷は家臣4人の相給で,総計750石であった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7276404
最終更新日:2009-03-01




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