ケータイ辞書JLogosロゴ 藤坂町(近世〜近代)


茨城県>水戸市

江戸期〜昭和42年の町名江戸期は富士坂町とも書き,富士山町(藤山町)とも称し,水戸城下上町の1町明治22年からは水戸市上市のうちで,昭和8年からは水戸市の町名水戸城の西に位置する武家町町名は滝坂のあたりに富士権現があったことによる(水府地理温故録)「新編常陸」によれば荒木町の西,南は泉町から始まり,八王子・裏八王子・長町・撞木辻・信願寺・裡信願寺の諸町を受けて北に向かい,金町を抜けて滝坂に至る町で,元禄3年令に,藤山坂通り荒町木戸までを藤山町と称すとある滝坂脇に富士権現社があったが寛文6年破却寛政9年の武家屋敷数7(水戸の町名)当町の泉町角のところに藩臣本間氏の屋敷があった初代道悦は江州出身で,美濃大垣藩の戸田氏に仕えたのち潮来【いたこ】に住み自準と号して医者を開業松尾芭蕉の診察治療をしたことから交流が始まり,芭蕉は鹿島詣の途,しばしば自準邸を訪ねている(小川町のあゆみ)以後本間家は代々俳句をたしなむ幕末の本間玄調は蘭方を得意とし「種痘活人十全弁」「瘍科秘録」ほか多くの著述がある明治42年大成裁縫女学校(現大成女子高校)設立昭和25年の世帯74・人口331(水戸の町名)昭和42年五軒町3丁目・泉町3丁目となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7276412
最終更新日:2009-03-01




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