ケータイ辞書JLogosロゴ 伏木村(近世)


茨城県>境町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島郡のうち。関宿藩領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに1,125石余,「旧高簿」1,137石余,「旧高旧領」1,125石余。文化3年の家数532(猿島上郷窮民永救録趣法書)。鹿狩には,享保10年・同12年・寛政7年・嘉永2年とも村高に応じて勢子を出した。寛政7年は90人。安政3年12月利根川通り横上堤の普請入用割合に金8両余を出した。嘉永3年小山高台繰抜普請に51人,翌年同逆留普請に133人を出している(上出島真中家文書)。助郷は,享保11年・同13年・寛政7年・天保14年の将軍日光社参および日光法会には境宿・谷貝宿に出役。寛政10年8月の中田宿の加助郷には当村ほか16か村合わせて184人・馬61疋を出している。慶応4年正月,陸奥会津藩主松平容保が京都に守護職としてのぼる際,中田宿に買人馬によって16人馬5匹分の雇賃銭を出している(百戸長野家文書)。慶応4年会津戦争に伴う新政府軍の送迎のため境宿・谷貝宿に人馬を出役。寺院は,浄土宗専修寺・真言宗大聖院,鎮守は香取神社。明和6年江戸の消費地に牛蒡1,208束を出荷しており,郡内では長井戸村に次ぐ(境小松原家文書)。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年森戸村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7276428
最終更新日:2009-03-01




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