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- 仏生寺村(近世)とは
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仏生寺村(近世) 江戸期~明治30年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
仏生寺村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
仏生寺村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
仏生寺村(近世) 江戸期~明治9年の村名山城国相楽【そうらく】郡瓶原【みかのはら】郷のうち慶長年間は古田織部正知行,元和以降伊勢津藩領,承応2年からは例幣使料となる村高は,「正保村高帳」および承応2年領地替え時の記録「宗国史」は319石余,「元禄郷帳」「享保村名帳」「天保郷帳」は388石余,「旧高旧領」385石余瓶原の北部,三上山(473m)の南山麓に位置する恭仁京の北辺にあたり,三上山中腹にある海住山寺への登り口でもある地名の由来は,かつて当地にあった仏生寺という寺の名にちなむといい,仏生寺の跡を示す上薬師・下薬師という地名がいまに残ると「山州名跡志」は伝えている当村集落の真南,登大路村の国分寺跡の東方には,例幣使料の境界を示す高さ1mあまりの石柱がある表面に「例幣使料境目傍示石也」,裏面に「承応二癸巳正月十一日」と刻まれている明治元年京都府に所属同9年例幣【れいへい】村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」