ケータイ辞書JLogosロゴ 本郷(中世)


茨城県>阿見町

 鎌倉期に見える郷名。常陸国信太【しだ】荘のうち。元徳元年11月7日の関東下知状に「一,当庄内本郷一方分役事,右,地頭遠江式部大夫守政,去正中元年以来至于嘉暦三年,所積分銭五貫文対捍之由……一,同郷一方分役事,右地頭遠江幸寿丸,正中二年以来至嘉暦三年,所積分銭四貫文対捍之由」と見え,一族か兄弟と思われる遠江式部大夫守政と遠江幸寿丸の2人が地頭として当郷を支配していたが,嘉暦3年までに年貢銭5貫文と4貫文を対捍したために,その納入を命じられている。また,代官として利澄・道忍の名が知られる(東寺百合文書/土浦市史編集資料)。元徳元年11月日の地頭代官良円の結解状に,信太荘の上条内の5か郷を支配した地頭の庶子分として見える「荒川」も当郷と同一と考えられる(東寺古文零聚)。文禄の太閤検地を機に信太郡に属す。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7276600
最終更新日:2009-03-01




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