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- 曲淵村(近世)とは
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曲淵村(近世) 江戸期~明治8年の村名会津地方東部,長瀬川東岸に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは月輪荘に属したという会津藩領川東組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では猪苗代郡に属し297石余,享保3年234石余,文化15年の村日記(県史10下)では285石余,「天保郷帳」294石余,「旧高旧領」300石余昔は長瀬川の屈曲するところにあったが,水災にあい元和5年に移された村名は長瀬川の屈曲するところに位置したことにちなむ(新編会津)二本松街道に沿っていた享保3年の家数16軒・人数69,馬8,文化3年の家数14軒・人数73,馬11(小林家文書)化政期の家数14軒(新編会津)慶応4年の産物は織綱(猪苗代郷土誌稿)鎮守は加茂神社堂宇に地蔵堂がある肝煎は野矢家明治元年10月村役人の排斥一揆で休役となった旧肝煎は,12月に民政役所へ帰役願を提出した(小林家文書)明治8年幸野村・新屋敷村と合併して川桁村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
曲淵村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
曲淵村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」