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町屋村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
町屋村(近世) 江戸期~明治7年の村名小県【ちいさがた】郡のうち上田盆地南部,塩田平の東南端,独鈷【どつこ】山系富士岳山麓に位置する北流する雨吹川と駒瀬川流域扇端部に町屋・馬場【ばつば】(中組)の集落と久保山山麓の久保・源方(下組)の集落からなる村名は,古くに,池田長門守と想定される土豪の館がこのあたりにあり,当時の中心地であったことに由来する天正11年9月の「安楽寺分日記」によれば,安楽寺領の1筆に「百文〈まちや〉能心」と見える(信史16)上田藩領郷帳では,奈良尾村とあわせて東松本村として記載され,「旧高旧領」で村高602石余ただし,元和2年に東松本村は町屋村と奈良尾村に分村,それぞれ村役人が置かれて,一村として機能した(県町村誌)元禄7年中山道和田宿・長窪宿の助郷村に定められ,その助郷高395石また両宿の道造掃除人足も割当てられた(上田小県誌)宝永3年の家数73・人数344,馬39,諸役として馬草・すぐり藁・葺萱・渋柿・糠・すさ藁・薪・漆を上納した(上田藩村明細帳)また諏訪部の橋掛人足や諏訪部船頭切米も割当てられた鍛冶1人がおり,耕作の間に紙漉,女稼ぎとして木綿織,男稼ぎは木草取りなどが行われた村内に真言宗松本山西光寺,地蔵堂・神明小社などがあった(同前)西光寺境内には,もと富士岳の山頂にあった弘安8年3月8日の年紀を有する七重石造多層塔(弥勒仏塔)があり,塩田国時が弘安の役の際,蒙古軍の退散を常光寺住僧に祈らせ,大願成就したため同塔を献塔し,あわせて戦没将兵の供養としたと伝えるまた,そのそばに寛正7年の年紀を有する大姥石仏があり,これは同年の大旱魃のとき富士岳に雨乞祈願をし,それがかなったので村長が建立したものというなお明和裁許による中馬数16(小県郡史)明治4年上田県を経て長野県に所属江戸中期より養蚕業が広まり,さらに幕末には蚕種業も発展,明治6年の蚕種製造戸数は春種18戸であった(上田小県誌)同7年富士山村の一部となる... |
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町屋村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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町屋村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
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