ケータイ辞書JLogosロゴ 虫掛村(近世)


茨城県>土浦市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国新治【にいはり】郡のうち。正保年間〜寛文年間に常名【ひたな】村から分村(新編常陸・寛文朱印留)。土浦藩領。村高は,「元禄郷帳」596石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに705石余。「県方集覧」によれば延宝6年の検地と伝え打出高108石余,高705石余,池1(境田新池)・堰1・水門1・百姓山11,三昧2,寺社は真言宗吉祥院・同延命院・道心庵・明神社・大日社。中村宿の定助郷を勤めていたが,天保4年当時は免除されている(土浦市史編集資料)。明和2年日光法会の際には大助郷を勤めた(土浦市史)。灌漑は桜川の坂田堰から松塚村ほか5か村共同で引水(同前)。明治8年茨城県,同11年新治郡に所属。明治22年藤沢村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7276956
最終更新日:2009-03-01




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