ケータイ辞書JLogosロゴ 莚打村(近世)


茨城県>岩井市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。旗本一色氏の知行,享保9年からは飯沼開発に伴い幕府領。村高は,「元禄郷帳」276石余,「天保郷帳」309石余,「旧高簿」316石余,ほかに莚打村新田13石余,「旧高旧領」309石余。莚打新田は利根川沿いに開発されたという。鹿狩は,享保12年・寛政7年・嘉永2年に出役し,当村は利根川対岸の小金原(千葉県)に向かう出発地点であった。助郷は,将軍日光社参の享保13年・天保14年に境宿・谷貝宿に人馬を出し,宝暦2年は取手宿の代助郷,文化10年から10年間は日光街道古河宿・野木宿(栃木県)に人馬を出した。嘉永4年小山高台繰抜普請に人夫を出した。香取神社・鹿島神社がある。慶応4年4月,大鳥圭介が旧幕府軍を率い当村河岸に一泊し,翌日岩井へ去った。同4年閏4月から新政府軍の会津出兵に伴う送迎のため境宿・谷貝宿へ出役した。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年中川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7276963
最終更新日:2009-03-01




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