ケータイ辞書JLogosロゴ 藻嶋郷(古代)


茨城県>十王町

奈良期〜平安期に見える郷名「和名抄」常陸国多珂郡八郷の1つ十王川の北岸および小石川の流域一帯の太平洋岸の地で,十王町伊師の目島が遺称郷名は,「風土記」によれば,倭武天皇(日本武尊)が,舟に乗って海に浮かび出て,島の磯辺を見物したところ,そこにさまざまな種類の海藻がたくさん生い繁っていたので名付けたという日立市川尻町十王前のかんぶり穴横穴墓群は,当郷あるいは隣接の伴部郷の支配者に関連のある者たちの墳墓(日立市史)「風土記」に「郡の南廿里に藻嶋の駅家あり」,「日本後紀」弘仁3年10月癸丑条に「廃常陸国安候・河内・石橋・助川・藻嶋・棚嶋六駅」とあり,奈良期から弘仁3年まで藻嶋駅家が置かれていた養老3年石城【いわき】国(福島県・宮城県)に設置された海道の駅家に連結するために置かれ,のち陸奥【むつ】国の海道の駅の廃止に伴って廃されたのであろう駅家の位置は,高萩市石滝とする説もあるが(新編常陸),十王町西上台に礎石・布目瓦・須恵器を出土する遺跡があり,これが駅家跡と推定されている(高萩市史)天平勝宝4年の正倉院御物白布伎楽大孤児面袋墨書に「常陸国多珂郡□藻嶋子戸主矢作了石前戸口矢作了小僧輸調曝壱端」と見え(県史料古代),「藻嶋子」とは,藻嶋駅家の駅子をさすと考えられる「風土記」によれば,藻嶋駅家の東南の浜(現小貝浜)には碁子があり,「色は珠玉の如し謂はゆる常陸国に有らゆる麗しき碁子は,唯是の浜のみなり」という高萩市石滝,十王町伊師・伊師本郷を含む地域に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7276989
最終更新日:2009-03-01




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