ケータイ辞書JLogosロゴ 百戸村(近世)


茨城県>境町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。関宿藩領。村高は,「元禄郷帳」321石余,「天保郷帳」332石余,「旧高簿」356石余,ほかに百戸村新田1石余,「旧高旧領」332石余。早くから茶の栽培が行われ,寛文13年には茶改帳が作成されている(長野家文書)。鹿狩は享保年間2回,寛政7年・嘉永2年それぞれ1回ずつ出役し,嘉永2年の人数は23。普請役は境町の千間堤修復,岩井方面の利根川堤普請,小山高台繰抜などであったが,嘉永4年小山村の逆留普請に当村は83人を出している。助郷は,享保13年の将軍日光社参に伴い日光東街道の境宿に出役した。天保14年の社参にも日光東街道宿々に人馬を出した。寛政10年には中田宿の加助郷として出役。当村の長野氏は,近隣23か村の大庄屋を勤めた。慶応元年1月会津藩主松平容保が京都守護職として上京の際は,中田宿に5人と馬3疋を出している(百戸長野家文書)。慶応4年会津戦争に伴う新政府軍の送迎のために日光東街道宿々に助郷を勤めた。香取神社がある。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年森戸村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7276993
最終更新日:2009-03-01




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