ケータイ辞書JLogosロゴ 矢田部村(近世)


茨城県>波崎町

 江戸期〜明治22年の村名。鹿島郡のうち。はじめ佐竹氏領,元禄年間は旗本松下氏と幕府の相給。幕末期は旗本松下氏の知行。村高は,寛永10年「鹿島領御地頭御分地高帳」および「元禄郷帳」ともに179石余,「天保郷帳」559石余,「旧高簿」688石余。「元禄郷帳」「天保郷帳」「新編常陸」および延宝2年の検地帳には谷田部村とある。寺院は天和2年創建の真言宗正福寺,同宗万寿院・同宗知足院・同宗宝寿院・安行院,神社は大鳥神社・稲荷利神社・厳島神社・大杉様・白旗権現(矢田部に関する記録調査/波崎町史料)。地曳網漁業は,当村も東下村と同じく銚子組に組み込まれ,銚子干鰯として関西方面に送り出された。明和7年には地曳網6張があった。醸造業も行われ,元禄14年には幕府役人が酒造米高取調べのため当村に出向き,当村五郎左衛門と利根川対岸下総国荒野村(千葉県)の源太夫の酒造りを呼び,酒造60石を確認している(波崎町の歴史)。明治8年茨城県,同11年鹿島郡に所属。明治22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277120
最終更新日:2009-03-01




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