ケータイ辞書JLogosロゴ 谷永島村(近世)


茨城県>協和町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国真壁郡のうち。天保年間以後,古郷村から分村したと思われる。幕末期は旗本斎藤氏の知行。村高は「旧高簿」193石余。谷長島新田(石高「天保郷帳」1石余)として,幕府領支配山内氏からの年貢1石5升のほかに米4合と永3文の割付書が残る。延享2年から始まった幕府領開墾に当村が参加したと推測され,現在の蓮沼住宅団地付近に,当地の飛地の地番も残る。新田の成立時期は不明であるが,本田に元屋敷を今も保有するものがいる。神社は鹿島神社(新編常陸)。明治4年茨城県,同11年真壁郡に所属。明治17年古郷小学校開設。明治22年古里村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277145
最終更新日:2009-03-01




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