ケータイ辞書JLogosロゴ 矢作村(近世)


茨城県>土浦市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国信太郡のうち。はじめ結城氏領,慶長6年土浦藩領,元和3年幕府領を経て,同4年からは再び土浦藩領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高簿」ともに415石余。「県方集覧」によれば高415石余,享保6年の家数34・人数186,馬18,三昧1,寺社は真言宗不動院・同照誠院・大日堂・観音堂・鹿島社・天神社・弁天社・稲荷社・権現社。また地内に野場がないので荒川村へ1か年永100文を支払い刈り取るという。中村宿の定助郷を勤め,天保4年の勤高は415石余(土浦市史編集資料)。灌漑には桜川の坂田堰から松塚村ほか5か村と共同で引水(土浦市史)。明治8年茨城県,同11年信太郡に所属。明治22年中家村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277163
最終更新日:2009-03-01




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