ケータイ辞書JLogosロゴ 山尾郷(中世)


茨城県>笠間市

室町期に見える郷名常陸国宍戸荘のうち鎌倉期は宍戸氏の支配下にあり,鎌倉後期,宍戸家政の次男家時が山尾城主となり(宍戸系図/諸家所蔵文書),山野宇氏を称したという(尊卑分脈)家時の孫朝里の次男基家(沙弥希宗)は,応永6年「宍戸庄内山尾郷内てんこえ村」を,荘内一木に居住して宍戸一木氏を称した基里に35貫文で売却し,同31年基里の子満里は「山のおの郷内下てこいねんく十貫文五百文……上てこいの内平戸の女子分」ほかを熊主丸に譲与している(続常陸遺文)応永14年11月7日の旦那願文写には「ひたち国宍戸庄山尾郷源氏女 宍戸大方殿」と見える(米良文書/熊野那智大社文書)永享7年8月9日の常陸国冨有仁注文写に「一,山尾道場 用阿弥陁仏 宍戸中務丞知行,一,同道場 乗阿弥陁仏 同人知行」と見え,朝里の曽孫にあたる宍戸持里が知行し,2人の富有の人がいた(続常陸遺文)永享12年の結城合戦で持里は結城氏に呼応したため,嘉吉2年幕府軍は持里の居城であった泉城(現友部町南小泉)を攻撃している(諸家文書纂/結城市史)文禄3年の太閤検地を機に茨城郡に属す旧宍戸町,現在の友部町鴻巣・南友部・大田町・平町・橋爪・下加賀田・矢野下・大古山・南小泉,および笠間市手越を含む地域に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277235
最終更新日:2009-03-01




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