ケータイ辞書JLogosロゴ 横塚村(近世)


茨城県>協和町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国真壁郡のうち。元禄年間は旗本高林氏・斎藤氏の相給,幕末期は幕府と旗本高林氏・斎藤氏の相給。村高は,「元禄郷帳」554石余,「天保郷帳」627石余,「旧高簿」628石余。延享2年以来横塚南部の幕府領の新田開墾が盛んに行われた。文政11年の年貢割付は高林氏425石余,幕府領代官古料74石余・新田78石余。南方の栗崎西部の申合【さるごう】(猿合)という秣場として残された入会地をめぐって,蓮沼村,栗崎(桑山村のうち)と紛争や訴訟を繰り返した。明治期茨城県へも入会権を主張するとともに,租税納付について,蓮沼・桑山と各村連名で申請書を提出している。明治2年の村明細帳によると,反別77町余,高151石余,百姓46戸・人口253(うち大工3),馬19匹。神社は横塚神社,寺院は真言宗安養寺・常光院(ともに現在廃寺)。明治4年茨城県,同11年真壁郡に所属。明治22年新治【にいはり】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277300
最終更新日:2009-03-01




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