ケータイ辞書JLogosロゴ 吉田大工町(近世)


茨城県>水戸市

江戸期〜明治22年頃の町名江戸期は水戸城下下町の1町水戸城の南に位置する町人町「新編常陸」によれば,町名は大工職が多く居住したことによるという同書によれば,大工町と見え,もとは吉田村に属し,寛永年間以後開かれて町家となり,古記(水城金鑑)云として,1丁目は東側60間・西側43間で戸数13,2丁目は東側58間余・西側60間で戸数28とある家数は,寛文8年・元禄3年ともに38,宝永6年35,天保年間39(水戸の町名)宝永6年には当町の東側に屋敷持19・店借6,職業は酒・醤油類5,医師1・飴屋2・畳屋1・大工2・農業5など,西側は屋敷持13・店借6,その職業は飴屋1・太物商1・農業6・大工3など(東市街人姓名録一坤)明治22年頃までに台町の一部となったと思われる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277340
最終更新日:2009-03-01




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