ケータイ辞書JLogosロゴ 吉沼村(近世)


茨城県>水戸市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」717石余(ほか新田3石余),「元禄郷帳」933石余,「天保郷帳」987石余,「旧高簿」752石余。「水府志料」によれば,浜田組に属し,戸数97,村の規模は東西12町余・南北10町余,地内の吉沼は小さな沼であるがたいへん深く旱魃にも乾くことがなく霊地であるという。助郷は長岡宿に出役。用水は伊奈堀を利用(水戸市史)。享保年間当村伊平太の妻さよは貞婦として幕府から表彰された。寺社には天台宗阿弥陀院・吉田明神(もと若宮宇佐八幡)がある(新編常陸)。阿弥陀院の寺号は新善光寺で慶長18年の鐘銘がある。庄屋の福田家は図書収集家として著名で,幕末には水戸藩史局へ多量の図書を献納した。当村は城下に近接しているため奉公人などが多い。明治4年茨城県,同11年東茨城郡に所属。明治6年三田小学校設立。明治22年上大野村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277347
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ