ケータイ辞書JLogosロゴ 若林郷(中世)


茨城県>境町

 戦国期に見える郷名。下総国幸島【さしま】荘のうち。天文年間と推定される年未詳11月3日の亀房丸充の足利晴氏安堵状写に「若林郷・仁礼郷事,相続成敗不可有相違候」と見える(家蔵文書/古河市史)。天文22年12月11日の田代三喜斎充の梅千代王丸(足利義氏)印判状写にも「幸嶋荘閏年郷役事,若林・仁礼両郷被相除不可有相違」とあり,同年の郷役が免除されている(同前)。永禄10年5月17日にも足利義氏によって当郷が三喜斎に安堵された(同前)。天正2年と推定される12月2日の垪和康忠充の芳春院周興・昌寿連署書状写には「上幸嶋」のうちとして「わか林 三喜斎」と記されており,古河公方家の医師田代三喜の跡を継いだ三喜斎昌純の所領と推定される(喜連川家料所記/古河市史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277413
最終更新日:2009-03-01




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