ケータイ辞書JLogosロゴ 若柳村(近世)


茨城県>下妻市

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ常陸国河内郡,元禄15年からは真壁郡のうち。元禄年間は幕府領と旗本柘植氏・花房氏・三枝氏の相給,幕末期は若柳村嘉兵衛組・同善衛門組・同槇ノ内組の3組と同見取新田に分かれて見え,嘉兵衛組は旗本小浜氏・稲生氏・多田氏・柘植氏知行,善衛門組は旗本小宮山氏・小浜氏・稲生氏・柘植氏知行,槇ノ内組は旗本柘植氏・小浜氏・小宮山氏知行,見取新田は旗本小宮山氏・多田氏・稲生氏知行。村高は,「元禄郷帳」1,445石余,「天保郷帳」932石余,「旧高簿」では嘉兵衛組294石余・善衛門組363石余・槇ノ内組264石余・見取新田3石余,「旧高旧領」では928石余。寺院は天台宗本住院・遍照寺・如来寺(新編常陸)。明治6年開校した思斉小学校は,のち若柳小学校となる。明治8年茨城県,同11年真壁郡に所属。明治22年騰波ノ江【とばのえ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277429
最終更新日:2009-03-01




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