ケータイ辞書JLogosロゴ 渡里村(近世)


茨城県>水戸市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。もとは袴塚村のうちと伝える(水府志料)。元禄年間までに圷渡村と台渡村に分村するが,天保年間両村が合併して再び渡里村となる(新編常陸)。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」1,150石余,「元禄郷帳」では圷渡村として981石余,台渡村として833石余,「天保郷帳」では圷渡村として1,047石余,台渡村として848石余,「旧高簿」1,015石余。「水府志料」によれは圷渡村は常葉組に属し,戸数76,村の規模は東西19町余・南北16町余で下国井村への船渡は渡りの船渡と称するといい,台渡村は常葉組に属し,戸数52,村の規模は東西17町・南北15町。また,台渡には源義家の10万の兵を3日3夜饗応して義家に殺されたと伝える長者の長者宅があり,死ぬ前に黄金を入れた財布を懸けたという鐘懸の松がある。寺社は,圷渡に臨済宗香積寺・笠原明神,台渡に真言宗勝幢寺・青竜権現がある(新編常陸)。明治4年茨城県,同11年東茨城郡に所属。明治6年挹芳小学校設立,同10年堀小学校と改称。明治22年渡里村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277448
最終更新日:2009-03-01




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