赤塚村(近世)
江戸期〜明治9年の村名。都賀郡のうち。元禄郷帳・天保郷帳などでは西赤塚村と見える。はじめ旗本松田氏知行,元禄年間頃は下総古河藩領,のち旗本鈴木氏知行。村高は,「慶安郷帳」103石余(田62石余・畑37石余・野銭12石),「元禄郷帳」「天保郷帳」ではともに西赤塚村と見え103石余,「旧高旧領」171石余。助郷は例幣使街道富田宿定助郷に出役。「改革組合村」では西赤塚村と見え富田宿組合寄場に属し,天保年間の家数19。安政2年の家数16・人数89,馬数6(岩舟町の歴史)。農間に蓙・筵織などの余業に従事。用水は二本杉川から引水する六ケ村用水を利用した(同前)。神社には熊鷹神社がある。明治4年栃木県に所属。明治9年三和村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277489
最終更新日:2009-03-01