ケータイ辞書JLogosロゴ 赤見郷(中世)


栃木県>佐野市

 鎌倉期〜室町期に見える郷名。足利荘のうち。乾元2年閏4月12日の足利貞氏下文案に「足利庄内赤見駒庭郷半分〈但祖母一期知行〉」と見え,足利氏の被官倉持師経は父家行から譲渡された当郷などを足利貞氏から安堵された(倉持文書/県史中世3)。当郷はこれ以前の永仁4年3月11日の足利貞氏下文案には見えないが,倉持氏の本領と思われ,浄円―家行―師経と伝領されたが,浄円後家(師経祖母)の一期知行と定められていた(同前)。下って,応永5年3月日の俊誉申状案によれば,足利貞氏は鎌倉期に当郷内の一所を鎌倉犬懸谷の聖天堂の「聖天供」行事のために寄進したが,室町期には年貢も減少し有名無実となっていた(相承院文書/県史中世2)。永享5年4月5日には当郷内の田畠が珍誉から弘俊に譲与されており(同前),当郷は実質的には鎌倉相承院領であった。文明3年4月15日古河公方足利成氏方であった佐野氏の赤見城・樺崎城が扇谷・山内両上杉氏によって攻撃され,南式部大輔以下が討たれた。その結果,この合戦には北関東の諸氏が参加していたが,佐野氏は上杉方に参加することとなった。同年5月30日足利義政は赤見城攻撃の際の戦功を賞する御内書を佐野・両上杉・長尾・新田・横瀬などの諸氏に発給している(御内書符案/県史中世4,由良文書/県史中世3)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277504
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ