飯室村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。塩谷郡のうち。もとは土室村と称されたが,嘉永6年飯室村と改称したという(旧県史)。「慶安郷帳」「元禄郷帳」「改革組合村」では土室村と見え宇都宮藩領,「旧高旧領」では飯室村と見え幕府領。村高は,「慶安郷帳」210石余(田175石余・畑35石余),「元禄郷帳」286石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに292石余。「改革組合村」では氏家・白沢宿組合寄場に属し,天保年間の家数11。明暦2年宇都宮藩の事業として,同藩主奥平氏の家臣山崎半蔵の手で押上村を堰元として鬼怒【きぬ】川の水を引いた市ノ堀用水が完成し,新田開発も行われるようになった。神社は星宮神社(旧県史)。明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属。同年文挟【ふばさみ】・飯室・伏久【ふすく】・鴻野山・福岡・亀梨・上柏崎の7か村連合で文挟村広蔵寺に早修舎を創設,同12年当村に新築移転して飯室小学校として開校された(同前)。明治22年熟田【にいた】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277647
最終更新日:2009-03-01