ケータイ辞書JLogosロゴ 岩崎村(近世)


栃木県>黒磯市

江戸期〜明治12年の村名那須郡のうち那須野ケ原台地の北部,那珂川右岸の河岸段丘と台地に位置する地名は,那珂川の崖が岩になっていることにちなむという(黒磯市誌)天正19年5月6日の那須資景知行目録では「いわさき」と見え,「下あつ崎」とともに54石1斗7升とある(那須文書/県史中世2)はじめ那須藩領,寛永20年からは幕府領村高は,寛永15年には11石余(室井家文書/黒磯市誌),寛文11年の検地を経て,「元禄郷帳」19石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに25石余万治元年那須野ケ原の新田開発を目的とした長島堀(岩崎堀)が開かれ,その取入口が当村に設けられたしかし,数十年後には廃堀となった(黒磯市誌)文政5年村差出帳によれば,反別6町9反余で皆畑,ほかに百姓林1か所があって反別10町歩,家数10・人数59,馬数6,入会地は大輪地野,用水は那珂川を利用,畑作物は麦・蕎麦・稗・粟・大豆・小豆・芋・岡ぼ(陸稲)・煙草などで,肥料には落葉・下草・柴などを苅敷として利用,鎮守は温泉大明神,名主は北弥六村名主室井家が兼帯している(室井家文書/黒磯市誌)「改革組合村」では東小屋村組合寄場に属し,天保年間の家数9明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属明治12年同郡内に同村名があるため西岩崎村と改称
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277852
最終更新日:2009-03-01




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