ケータイ辞書JLogosロゴ 氏家(近代)


栃木県>氏家町

 明治22年〜現在の氏家町の大字名。明治24年の戸数336・人口2,138(男1,046・女1,092),学校1,水車場19,船21。氏家町役場所在地。明治30年日本鉄道(現国鉄東北本線)の氏家駅が開設され,同35年には同駅と喜連川を結ぶ喜連川人車鉄道が開通,駅周辺は運送業者が相次ぎ営業を始めた。同43年の戸数507・人口3,119(男1,608・女1,511)。大正7年氏家尋常高等小学校が上町から新町の御前城跡に移転。同13年氏家高等女学校が開校。明治末期から起こったわら切り機を中心とする農機具工業は昭和に入って隆盛を極め,氏家駅から全国へ移出された。同駅はまた米の出荷駅としても知られ,「野州米」として京浜地方に送られた。最盛時の昭和8年には約33万俵と全国3位の米出荷駅となった(氏家町史)。昭和7年の世帯726・人口3,986(男1,969・女2,017)。同16年農地開発営団により,上野原の開墾が入植者によって始まる。同22年氏家小学校の校舎を借りて氏家中学校が開校,同23年氏家高等女学校は男女共学の県立氏家高校となる。同24年氏家中学校は字大野へ新築移転。同33年上松山小学校が松山新田から大野に新築移転。同35年前田製管,同36年勝山地区へ進出した日華ゴムが操業を開始,以後同地区は工業地域として発展する。昭和42年一部が草川となる。同44年氏家民俗資料館開設。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277885
最終更新日:2009-03-01




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