ケータイ辞書JLogosロゴ 雲岩寺村(近世)


栃木県>黒羽町

 江戸期〜明治22年の村名。那須郡のうち。「天保郷帳」「旧高旧領」には雲巌寺村と見える。「慶安郷帳」では那須衆那須氏領,「元禄郷帳」「改革組合村」「旧高旧領」では幕府領と見え,ほかに雲巌寺領がある。村高は,「慶安郷帳」57石余(田19石余・畑38石余),「元禄郷帳」221石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに222石余。「改革組合村」では黒羽町組合寄場に属し,天保年間の家数24。貞享5年8月の幕府領の水帳によれば,水田55筆・茶畑80筆・畑172筆で,小区画の耕地が多く認められたという(黒羽町誌)。安政年間の書上によれば,村高137石余のうち,47石余は幕府領(大竹左馬太郎支配)で家数6・人口22(男8・女14),馬数3,90石は雲巌寺領で家数14・人口62(男30・女32),馬数7(同前)。元治元年には水戸天狗党の一行が地内を通過している。地内の雲巌寺は臨済宗妙心寺派の古刹で,大治年間の開基と伝えられ,弘安6年北条時宗が当時来山した仏国国師のために堂宇を建立したという。天正18年豊臣秀吉の兵火にあい伽藍をことごとく焼失,のち妙徳禅師が中興開山,のち徳川家光は150石の寺領を寄進した(旧県史・市町村誌)。元禄2年松尾芭蕉と弟子の曽良は同寺に詣で,仏頂和尚山居址を尋ね,「木啄も庵はやぶらず夏木立」の句を残している。明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属。同18年須佐木村ほか3か村と連合し,戸長役場を須佐木村に設置。神社には天満宮があり(旧県史),祭礼は3月25日。明治22年須賀川村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7277947
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ