ケータイ辞書JLogosロゴ 大平村(近世)


栃木県>益子町

 江戸期〜明治22年の村名。芳賀郡のうち。大田原藩領。村高は,「慶安郷帳」160石余(田101石余・畑59石),ほかに安禅寺領5石(田2石余・畑2石余)。「元禄郷帳」165石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに331石余。助郷は,正徳5年の徳川家康100回忌法会の時に例幣使街道奈佐原宿の加助郷を勤めた。「改革組合村」では益子【ましこ】村組合寄場に属し,天保年間の家数2。文久2年には家数23・人口161,うち浄土宗安善寺門徒146・八條村一向宗本誓寺門徒15。検地は万治2年と天保3年に行われ,また文久2年の新田検地では5町4反余が打ち出された。神社には大平山中腹の熊野神社のほか八坂神社・大杉神社・浅間神社・愛宕神社,寺院には浄土宗円通寺末の安善寺がある(芳香誌料)。安善寺は平貞能が開いたといわれ,貞能の墓と位牌があり,正慶2年の貞能100回忌に建てられた追善供養の板碑が現存する(益子の歴史)。明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属。明治初期の物産には米・大麦・大豆・粟・稗・綿・楮などがあり,そのほか徳利・瓶類・土鍋などの陶器が作られた。陶器製造は農間渡世として慶応元年に岩下作右衛門が瀬戸焼願を出している。明治22年七井村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7278120
最終更新日:2009-03-01




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