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- 小里村(近世)とは
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![]() | 小里村(近世) 江戸期の村名佐賀郡のうち佐賀平野中央部,巨勢【こせ】川西岸に位置する佐賀本藩領上佐賀下郷に属す村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに411石余,「天保郷帳」では432石余,「旧高旧領」には見えない「宝暦郷村帳」では枝村に矢蔵ノ下・田代・若宮村・権現堂・寄人村・古川・館・小路があり,「天明郷村帳」では小村に句料手(九郎手)・二又・西淵がある西淵は百石【ひやつこく】とも称す二又は二俣とも書き,市ノ江川と仏地蔵川の分岐点にあるところからつけられた名称と思われる天明年間の小里村絵図による戸数は小里4戸・句料手11戸・二又12戸百石は西淵村上分とともに初代藩主鍋島勝茂の4男山城守直弘が,三養基【みやき】郡白石に2万石余で封じられた配分地で,同領では石高に比し領地が狭いと主張したため兵庫村の藤ノ木付近から検地をやり直したところ百石に相当する土地が余分に生じたためこれを本藩領として取り上げてしまったのでこの名があり,西淵村上分から分離して小里村の飛地となる(高木瀬町史)「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに長瀬村の枝村に見える「明治11年戸口帳」によれば長瀬村のうちに「小里村」と見え,戸数63・人口252 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 小里村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 小里村(近世) 江戸期~明治12年の村名甲賀郡のうち天正13年中村一氏の支配,同18年増田長盛,文禄4年長束正家が次ぎ,慶長5年9月正家が滅び,幕府領地となる代官は松下孫十郎,慶長10年林伝右衛門,寛永10年水口【みなくち】城代小堀遠江守,正保4年同山口但馬守,万治元年より小堀仁右衛門・小堀源兵衛・猪飼治郎兵衛の支配,天和2年水口藩領となり,幕末に至る村高は「寛永高帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」では265石余,明治維新当時282石余(旧高旧領)助郷は東海道水口宿に出役寺院は浄土宗竜王山宝善寺でもと真言宗,ほかに峯の薬師と呼ばれた東前寺明治5年滋賀県に所属明治12年今在家【いまざいけ】村と合併して今郷【いまごう】村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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