ケータイ辞書JLogosロゴ 柿平村(近世)


栃木県>葛生町

 江戸期〜明治22年の村名。安蘇郡のうち。はじめ佐野藩領,慶長19年幕府領,元和2年小山【おやま】藩領,同5年小山藩主本多正純が宇都宮に転封するに伴い宇都宮藩領となり,同8年再び幕府領,寛永13年六人衆(若年寄)朽木氏領,慶安2年から三たび幕府領,天明8年からは旗本横田氏知行。村高は,「慶安郷帳」533石余(田59石余・畑364石余・役109石余),「元禄郷帳」352石余,「天保郷帳」366石余,「旧高旧領」352石余。「改革組合村」では葛生町組合寄場に属し,天保年間の家数91。明治4年栃木県に所属。明治初年の戸数89。明治6年長泉寺を仮校舎として小学校開校,同16年慶蔵院に移転,同20年柿平尋常小学校となる。神社には富俵山神社がある。同22年の戸数102,馬数45。明治22年氷室【ひむろ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7278320
最終更新日:2009-03-01




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