ケータイ辞書JLogosロゴ 風見(中世)


栃木県>塩谷町

 鎌倉期に見える地名。氏家郡のうち。鎌倉末期成立と推定される「大中臣氏略系図」の中郡頼経の項に「海道小太郎業平〈坂東平氏歟〉蒙御勘気之時,賜打手,於下野国氏江風見楯令討之」と見える(桐原文書/茨城県史研究48)。海道小太郎業平(成衡)は多気致幹(宗基)の孫女,源頼義の女を妻とし,清原真衡の養子となった人物であるが,後三年の役で真衡が死んだあと,成衡は清原氏の嫡宗の地位を失ったものと思われ,風見の楯で頼経に討たれた。これは後三年の役の源義家の動きと関わりがあり,頼経に成衡を討たせ,頼経から「スゝキ丸」という太刀を受取り,三星文を与えたのは義家と考えられる。なお,江戸期にまとめられた「氏家宿古記録集」や「氏家記録伝」などによれば,当地は中世に「氏家二十四郷」の1つであったという。当地は氏家郡内の郷村の1つで,氏家氏・宇都宮氏の支配下にあったと考えられる。地内には宇都宮氏の被官風見氏の居城と伝えられる風見城がある。「宇都宮興廃記」によれば,観応2年の上野国那波荘合戦の討死者として風見新右衛門尉平胤重があり,康暦2年の裳原合戦に宇都宮方として風見源右衛門が見える(宇都宮市史)。また,「今宮祭祀録」によると,今宮神社の祭礼に際し,乾元元年から文禄2年にかけて4度にわたり風見郷から風見新五郎や君島播磨守などが頭役を勤仕したという(西導寺蔵/宇都宮市史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7278337
最終更新日:2009-03-01




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